仕事で色んな企業の方と話す中で、「発達障がい」という用語をけっこうよく聞きます。「最近多いらしいね~」とか、症状を理解しているというわけではなくても、少なくとも話題には挙がります。社員のメンタルヘルスでお悩みならロコソルへ「おとなの発達障害かもしれない」を読んで前に「おとなの発達障害かもしれない!?」(森島明子)という本を読みました。著者は漫画家として活躍されている方です。何となく発達障がいの自覚がありつつ生活していた人がADHDの診断を受けて、辛い思いをしたり前向きになったりしながらありのままの奮闘記でした。漫画なので読みやすいですよ。この中で私の心に残った言葉を書くと、・発達障がいがあるから必ず生きづらいってわけじゃないんだよね。苦悩する人、気にしない人、才能にしてる人、人それぞれ。・発達障がいの人が生きづらいってことは、今のこの社会は全ての人にとって結構生きづらい。・私の事を肯定も否定もされない。こういう安心感もあるんだな。・健常者を定型、発達障がい者を非定型と表現することも多いよ。・大人になった今の自分が子供のころの自分に言葉をかける・・か。あのころ誰にも気づいてもらえなかったことを大人の私が気づいてあげたぞ!子どもの私から大人の私へ、大人の私から子どもの私へ。話したいことはいっぱいある。それを心の中でひとつひとつ伝えていくのはけっこう楽しくて良い作業なんじゃないかなと思いました。ちなみに、発達障がいの表現について記載があったので私の意見を補足します。本で「非定型」という表現が紹介されていましたが、私はこちらの方がしっくりきます。英語では「developmental disorder」。「disorder」は「order」の否定形です。「order」は注文、命令、順序、秩序といった意味ですから、この場合は「秩序だっていない」→「普通ではない」→「非定型」という訳がしっくりきます。なぜなら、「秩序だっていない」、「普通ではない」=「障害」ではありません。別に皆が秩序だっている必要などないし、外れていても普通ではなくても楽しく生きることはできるし、むしろそれを強みにすることもできます。確かに生きづらさに繋がる部分もあることは事実ですが、「disorder」を「障害」とするのは飛躍していると思うんですよね。同調圧力の強い日本社会世の中では「忖度」という言葉をよく耳にするようになりました。私はこの「忖度」という言葉、実に日本社会を象徴していると感じます。「忖度」を辞書で引くと、「相手の気持ちをおしはかること」だそうです。この言葉自体に悪い意味はありません。むしろ社会で生きていくには必要なスキルでしょう。近年では「上役などの気持ちをおしはかる」という用法が広がりつつあるようですが、これは「忖度」という言葉の用法の一部にすぎないとのこと。あまりにこの用法の印象が強くなり、どうも「忖度」という言葉に悪いイメージが付いたようです。前置きが長くなりましたが、日本社会は実に「忖度」社会、悪い意味ではありませんが「相手の気持ちをおしはかること」を求める社会だと感じます。それは相手への思いやりという良い部分につながることもありますが、「みんな一緒に」という横並びの同調圧力社会へとつながっているとも感じます。「お前、空気読めよ」という社会ですね。発達障がいの方は「相手の気持ちをおしはかること」、「空気を読むこと」が苦手です。発達障がいの方にとって日本社会は生きにくいだろうなあと感じます。私は以前、モンゴルで生活し仕事をした経験があります。日本人基準で考えるとモンゴル人って実に空気読まない人たちなんですよ(笑)。例えば、移動で飛行機に乗って隣にモンゴル人がいる。こっちはゆっくり寝て過ごしたいなあと思っているのに、そのモンゴル人はおかまいなしでずっとマシンガントークで話しかけてくるんです。まあ適当に相手をして、到着する頃にはそこそこ話してるから連絡先くらい交換しようかなあとか思うじゃないですか。でも着いたらさよならも言わずに一目散に去っていったりして。今までは何だったんだという(笑)。モンゴルで生活し始めた最初の頃は腹が立つことも多かったですが、慣れてくるとあーモンゴル人ってほんま面白いなあに変わっていきました。またネタが増えたみたいな。慣れてしまうと意外と気を遣わなくていいから楽なんですよね。以前一緒に仕事をしていた人の中に、この人は隠れ発達障がいだろうなと見ている人がいました。やはり「相手の気持ちをおしはかること」が苦手で、周りの人間関係がうまくいっていません。その人のことを腹黒いと言う人もいました。でも私には、当人は悪気がなく、むしろ純粋な人だと映っていました。だから周りから悪く言われるのはかわいそうだと感じたし、本人に対して少しずつ「相手の気持ちをおしはかる」機会をうながしていたつもりです。ただ、なぜ周りとうまくいかないのか、本人に気づきがないと改善が難しかったのは事実です。自分の意図が伝わらなくて、イライラして感情的になってしまったこともありました。要は私が未熟だったということですが、難しさを感じた経験でもありました。個人的には、元々「発達障がい」という言葉が気に入らないんです。障がいというより特性ですよね。それが本人が生きている社会と適応できないから問題が生じるだけで、本人自体に問題があるわけではありません。あ、ちなみに私は嫁さんからADHDっぽいと言われます(笑)。社員のメンタルヘルスでお悩みならロコソルへ