次のG7サミットが2023年5月19日~21日に広島市で開催されます。G7サミット自体は日本で何度も行われていますが、広島の地での開催は初めてです。弊社ロコソルは広島を拠点にしておりますので、G7広島サミットを応援しています。現在ウクライナ情勢の緊迫化に伴い、核兵器使用のリスクへの懸念が高まっています。世界中の人が不安を感じていると言っても過言ではありません。そんな中、「国際平和文化都市」である広島の地を各国の首脳が訪れ、広島の文化や歴史に触れていただく場が設けられること、またそれに伴いメディアを通して各国の人々に広島への関心を高めていただくチャンスを得られることは、広島県民としてとてもうれしいことです。「広島サミット県民会議」は広島県、広島市や経済・交通・医療など様々な分野の関係団体で構成する官民一体の組織です。この組織は次のようなメッセージを掲げています。G7サミットの開催を通じて「広島に来てよかった」と思っていただけるよう、また、参加者等をお迎えする市民、県民の皆様にもこの機会に多くの方々に広島の良さを知っていただくことを通じて「広島で開催されてよかった」と思っていただけるよう、サミットに関わる全ての人々に喜んでいただけるような広島サミットの開催を目指します。「広島サミット県民会議HP」より抜粋このメッセージは広島サミット県民会議のミッションであり、私も賛同しています。弊社としても広島サミット県民会議を応援しながら、G7サミットで地球規模の様々な課題についてより良い対話がなされることを願っています。弊社代表の私(寺川)は被爆3世で、祖父はNHKの技術職員でした。当時、NHK広島の放送局は今の幟町にあり、爆心地から1kmのエリア。9割の方が亡くなったエリアだそうです。祖父はその時空襲警報を放送する直前で、たまたま地下にいたので九死に一生を得たのですが、放送局の前にラジオ修理で行列をしていた人たちは皆、亡くなってしまって、あともう少し空襲警報を放送するのが早かったらもっと多くの人が生きられたのではと悔やんでいる祖父の声が、残されている資料にありました。私は以前に、原爆放射能医療研究所で所長も務めておられた鎌田七男先生の元で、1年間被爆について学んだことがあります。先生は、医療の立場で被爆者と向き合ってこられた第一人者であるとともに、ご本人も戦争時の満州から帰還された大変なご苦労と経験をされている方です。私の祖父のような直接被爆者の他に、後で被爆地に入った方や医療看護に携わった方多くが放射能被爆していることを学びました。鎌田先生が、被爆者は生涯虐待を受けたと言われていたことが心に残っています。私の祖父は私が小学生の時まで生き残った幸運な一人でした。が、被爆の体験は家族にもほとんど話したことがないそうです。晩年はアルコール依存でしたが、おそらく被爆の記憶に苦しめられてきたんだろうなと大人になって感じました。先人たちの努力のおかげで日本では幸いにも平和が続き、被爆の記憶は薄れてきています。実際、私も平和な時代しか知りません。被爆について学んだけれども、残念ながら今何かアクションをできているわけではありません。G7ではぜひこの広島の地から平和公園の慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」という決意を発信していただきたいと思います。そして、弊社もできることを少しずつでも実行していきたいと思います。ロコソルのホームページはこちらから